登り窯
穴窯の焼成前
穴窯の焼成前
煤や煙の公害で京都市内では登り窯が焚けなくなり、ガス窯や電気窯が主流になりました。
私も炭山の地に陶房を構え、電気窯、灯油窯で焼成していたのですが、 松割り木の燃える音、その香り「炎による焼成と変化」にいつかは焚き窯で作品作りがしたいと夢見て願っていると、 縁あって近くの笠取の地に穴窯を築窯することができました。
昭和52年のことです。
窯焚き
窯焚き
毎回2000束の松割り木を用意して、10年間穴窯を焚き続けました。 しかし穴窯では釉薬の作品が限られるので、気持ち新たにと、登り窯と穴窯の連結した新しい窯を築窯しました。
登り窯では釉薬の作品を、そして穴窯では窯変焼き締めと作品の幅も増え、10年毎に窯を新しくして現在に至っています。 土と炎が醸し出す焼きものに夢中になり全身全霊六昼夜2000束の松割り木を焚きつづけられる事は幸せです。
窯焚き
窯焚き
毎回熟慮して窯詰めしたにも拘わらず、松割り木の乾燥状態、気候、作品の大きさ等にも影響して、 辛辣な状態を受けています。
自然の力に翻弄されながら、「土と炎による焼成」にこだわり醸し出される釉薬の深味を作品の何処かに表現できていればと願いつつ、 窯から出てきた作品を一つ一つ受け止めています。
体力の続く限り登り窯を焚き、「土と炎に醸し出された作品づくり」に勤しむ窯ぐれ男です。